ご挨拶 Greeting
鈴木松月堂のホームページをご覧いただきありがとうございます。
鈴木松月堂の三代目として生まれ育ち、大好きなお菓子作りをさせて頂ける私は幸せものです。
今まで学んだことを生かし少しずつですが、
皆様に喜んで頂ける様色々なお菓子を今以上作っていきたいと思います。
店舗概要
白河市は、 福島県中通り南部に位置し奥州三関の一つ白河の関みちのくの玄関口として知られています。
鈴木松月堂初代鈴木賢之助は、 明治2 7年(1894)生まれ幼いころから道場町の八百屋菓子店で修業し初めは、大正6年(1917)七番町に鈴木商店として23歳の若さでお店を開きました。 大正8年(1919)の白河大火で八百屋菓子店が焼け親方の酒井藤吉は、弟子の賢之助に“おきな飴”を託しました。賢之助は、店を七番町から仁井町(現在の昭和町)に移しました。
賢之助は、戦争で長男、次男を亡くし昭和6年(1931)生まれの三男鈴木軍三に託ました。その長男の私が店を継ぎました。
経歴について
三代目の経歴/鈴木賢市:昭和38年(1963)生まれ
東京製菓学校和菓子課(昼間)、洋菓子普通科(夜学)併学卒業(1983)
・在学中ルノートル製菓学校初代校長初来日のポネ氏の講習を受講
・在学中休日に草加市(パンと洋菓子店)、草加市(和菓子店)桶川市(和洋菓子店)、目黒(和洋菓子店)阿佐ヶ谷(和菓子店)にて短期間のアルバイト
東京都調布市サロン・ド・テ・スリジェ(前日本洋菓子協会連合会
会長:原光雄氏)
白河に戻り40歳の時で社長に。
東京製菓学校に入学して間もなくお菓子を全く知らない私は、ルノートル製菓学校初代校長ポネ氏の講習を受講し圧倒しました。東京製菓学校を2年間昼間は和菓子、夜は週3日間の洋菓子を学びました。
在学中に菓子店でアルバイトもしました。卒業後の進路を考えていた頃、
都内ケーキ屋さんハンドブックに神田の菊むらで和菓子職人として8年修業した後洋菓子の道に進んだ原光雄氏を見て2年間お世話に成りました。
※サロン・ド・テ・スリジェは、2017年3月14日43年間の営業に幕を下ろしました。
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TEL 0248-23-2568